三井寺(園城寺)の歴史・伝説

千三百年の歴史を一日で
本朝四箇大寺「三井寺」

天台寺門宗の総本山である園城寺(三井寺)は、
正式名称を長等山園城寺
(ながらさんおんじょうじ)といいます。
滋賀県大津市、琵琶湖南西の長等山中腹の
広大な敷地の中に位置し、
1300年の歴史を持つ寺院です。
創建は686年、859年に唐からもどった
知証大師円珍が密教修学の道場
として唐院を設け、
天台別院として伽藍を再興し、
平安時代以降、東大寺、興福寺、延暦寺
とともに四大寺院のひとつとされてきました。
現在、国宝64点、需要文化財720点を有します。

三井寺の由来

三井寺と呼ばれるようになったのは、 天智・天武・持統天皇の三帝の誕生の際に産湯に用いられたという霊泉があることに由来しています。

不死鳥の寺

長い歴史の中で、比叡山延暦寺との対立で比叡山宗徒によって大小合わせて五十回もの焼き討ちや、豊臣秀吉によって寺領を没収され廃寺同然になったこともあります。歴史上の苦難を乗り越えて三井寺は数々の争乱などで繰り返し焼失したにもかかわらず、どんな苦難も乗り越えて復活していることから、「不死鳥の寺」と呼ばれています。

日本有数の特別なパワースポット

三井寺の建つ場所は、2匹の龍が作り出す風水パワースポットで衆龍相會形(しゅうりゅうそうかけい)とう地勢をしており、龍脈と呼ばれる気の道がぶつかりあうことで作り出します。大きな名声を得るための勇気と覚悟の気づきが得られるパワースポット。 リーダーになりたい人、名声が欲しい人、不屈の精神力や実行力を得られるとされます。
そして、明堂に池や湖がある地形、前方に広がる琵琶湖がさらにエネルギーを高めています。まさに、2つの龍脈が作り出す地形、前面にある琵琶湖、三井寺全体が日本屈指の風水パワースポットです。

1300年以上前には日本の都があったことからも分かるように、
昔からこの地は特別な場所として扱われていました。
また、琵琶湖は金の気を生み出し日本列島に循環させているとされ、
日本を繁栄させるには琵琶湖を清浄に保つことが重要だと言われています。
金堂西側の閼伽井屋(あかいや)から湧き出ている清水は
天智、天武、持統の三天皇の産湯に使われた霊泉といわれており、
「御井の寺」ということで三井寺の寺名の由来になりました。
現在も湧き続けており、
神聖なものとして寺内でも限られた用途にのみ使用されています。

天台寺門宗とは?

伝教大師・最澄の跡をうけ第五代天台座主となった智証大師円珍を開祖とする宗派で、日本天台三総本山のひとつ。延暦寺を山門派というのに対し三井寺を寺門派と呼び、千年以上の長い歴史を有する代表的宗派。

日本天台三総本山とは?

「天台薬師の池」と呼ばれる琵琶湖を臨む「天台寺門宗総本山三井寺(園城寺)」、「天台宗総本山比叡山延暦寺」、「天台真盛宗総本山西教寺」の三寺院のこと。

不死鳥の寺〝三井寺〞
に眠る数々の伝説

龍神と除夜の鐘にまつわる三井の晩鐘伝説
県指定文化財鐘楼/三井の晩鐘

湖畔で子供たちにいじめられていた蛇を助けた若者が、竜宮の王女をめとり子供を授かります。いずれ竜女であることを知られてしまった女は、子供のために自らの眼玉を残し琵琶湖に帰ります。それ以降、視力を失った竜女のために子供の無事を知らせるべく、三井寺では日々鐘を突くようになりました。
また、年の暮れには一年が過ぎたことを知らせるために目玉餅を供え、108回に限らずできるだけ多くの鐘を突くようになったそうです。
※近江八景の「三井の晩鐘」として知られるこの梵鐘は、「天下の三銘鐘」の一つ。

三井寺に残る天狗伝説

金堂の向かいに天狗杉と呼ばれる樹齢千年以上の大きな杉の老木があります。室町時代の初め、相模坊道了という僧が勧学院書院で密教の修行をしていたある夜、突如として天狗となり書院の窓から飛び出し、この杉の上に止まり、やがて朝になるや東の空に向かって飛び去りました。
道了が降り立った場所は、はるか小田原(神奈川県)の最乗寺という寺で、ここは今でも天狗の山として知られています。道了の修行していた勧学院には「天狗の間」と名のついた部屋が今なお残っています。

日本の歴史と文化を
三井寺で体感する

県指定文化財観月舞台 能の演目「三井寺」の舞台

ユネスコの世界無形文化遺産に
登録されている能。
その中でも有名な演目「三井寺」のクライマックスシーンの舞台。奉納の芸事などの際にのみ演者が上がることの許されている場所で、春には視界いっぱいの桜を、眼下には日本一の琵琶湖をごらんいただける名所。
宿泊者の方は特別に舞台に上がり限られた人だけが見える景色をご覧いただけます。

国宝光浄院客殿 書院造の代表として名高い国宝建築

日本の住宅建築の源流となった
書院造の代表的遺構。
三井寺の僧で、瀬田城の城主として豊臣秀吉に仕えた武将でもあった山岡道阿弥景友の建立と伝える。内部の一之間、二之間には狩野山楽をはじめ狩野派によ障壁画(重要文化財)があり、室町時代後期の庭園も名勝史跡に指定されている。書院の広縁に接するように庭園が広がっており、建築と一体となった格調高い空間を感じることができます。

国宝観学院客殿 メトロポリタン美術館に再現された一之間

光浄院客殿とともに書院建築の代表的遺構。
室町時代の武家住宅の典型である主殿造の様式を伝える貴重な書院として知られている。慶長5年(1600年)に毛利輝元によって建立された。内部の間取りは3列9室に分かれ、南列の大床、一之間から二之間には、狩野光信の華麗な障壁画(重要文化財)が描かれている。室内から南側の広縁と落縁からなる縁側に出ると清明な広々とした空間が広がり、東西に細長い池のある庭園が続いています。

重要文化財
閼伽井屋/三井の霊泉(内部)
龍脈が重なり合い霊泉が湧き出す
パワースポット

金堂の奥にひっそりと佇む重要文化財の「閼伽井屋(あかいや)」。
内部には三井寺の名前の由来となった三帝(天智、天武、持統天皇)の産湯に使われた霊験あらたかな井泉が今も枯れることなく湧いています。閼伽井屋の前に立ち上を見上げると左甚五郎作と言われる龍の彫刻が。この龍は、夜な夜な琵琶湖に出て暴れまわったため、左甚五郎自らが目玉に五寸釘を打ち込み鎮めたと伝えられています。

国宝金堂 絶対秘仏の御本尊を祀る三井寺の聖域

金堂は、三井寺の中心的建造物であり、内陣には三井寺の御本尊である弥勒菩薩様が安置されている。これは天智天皇が身近に置き拝んでいたもので、千三百年以上前に三井寺が創建された時に天智天皇から賜ったとされています。寺伝によると、大きさは三寸二分(約9・7cm)と10cmに満たない大きさとされています。絶対秘仏は公開されることがなく、鎮座する厨子も固く塗り固められていると言われており、数々の災難に遭いながらも奇跡的に今なお残っています。

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〒520-0036
滋賀県大津市園城寺町246三井寺内